葛飾北斎ゆかりの地を巡るOEDOタイムスリップ紀行

2020年2月4日の以降に申請されたパスポートの査証欄に、葛飾北斎の代表作「富嶽三十六景」のデザインが起用される事になりました。2020年は北斎生誕260年という節目の年でもあり、5月29日には北斎の生涯をえがいた映画「HOKUSAI」の公開も控え、再び北斎に注目が集まりそうな予感。70年の浮世絵師生活で残した約3万点の作品は今も世界中の人々を魅了していますが、一方でその生涯は謎に包まれています。今回は映画に先駆けて謎に包まれた北斎のゆかりの地を辿りながら、芸術に人生を捧げた彼の生き様を追いかけてみましょう。

本記事で紹介されているスポットは、下記の「旅リスト」にまとめられており、地図や一覧で簡単に確認できます。

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北斎通り(東京都 墨田区)

葛飾北斎は1760年10月31日に本所割下水(現在の東京都墨田区亀沢)に生まれました。本所割下水とは現在の両国駅と錦糸町駅を結ぶ通りを指し、現在は北斎通りと名を変えています。通りに面する緑町公園には生誕の地を示す碑が置かれており、この地が大浮世絵師北斎の生涯の始まりの地と思うと、なんだか感慨深いものがあります。

投稿者:nagoyakumasansanpon

結構交通量の多い道であるが、周囲には江戸東京博物館、すみだ北斎美術館、野見宿禰神社などがあるので、ブラブラ散策するのもいいでしょう。LTB511さんの口コミ
通り沿いに葛飾北斎生誕の地などがあるためこの名称が通りの名前に使われているそうです。通りの至る所に葛飾北斎の作品が描かれており、立ち止まって眺めるにはいい感じです。Curious803418さんの口コミ

すみだ北斎美術館(東京都 墨田区)

緑町公園の裏手にあるすみだ北斎美術館は北斎を語るうえで絶対に外せないスポットの一つです。鏡面のアルミを使ったメタリックでシャープな外観の美術館を手掛けたのは「建築界のノーベル賞」とも呼ばれるプリツカー賞を日本人女性で唯一受賞した妹島和世氏。風情ある下町の中で宇宙船の様な外観の美術館は目を引く存在ながら、アルミ壁に街の景色が映り込み、不思議と都市空間に馴染んでいます。

投稿者:chaco_11

気になる館内には代表作「富嶽三十六景」をはじめ、浮世絵の手法であるカラフルな色使いが特徴的な錦絵の代表作「諸国瀧廻り」や「諸国名橋奇覧」など約1500点の作品が年代ごとに展示されています。付属のタッチパネルを指でなぞると、絵が動き出す「北斎漫画」などインタラクティブな仕掛けが散りばめられ、楽しみながら彼の生き様を学ぶことができます。また晩年の北斎のアトリエをレプリカ人形と供に再現した展示は、夢中で絵を描く顔にきざまれた皺の一つ一つまで精巧に再現され、彼の芸術へのストイックさを強く感じることが出来ます。

投稿者:浪漫飛行

常設展も見どころあり。タッチパネルで楽しめるようにもなっています。 4階の展望ラウンジではなく、3階からスカイツリーがよく見えます。yama-kawa-noさんの口コミ
常設展示では、北斎の作品を年齢順に紹介されています。また、デジタルデバイスを多用しているので多くの情報を閲覧できたり、子供も遊べるパズルがあったり、ただ作品を鑑賞するだけのスペースではないところが面白いと思いました。北斎の作品をじっくり堪能できる素敵な美術館と思います。Tiedeurさんの口コミ

本所松坂町公園(東京都 墨田区)

美術館で彼の知識を蓄えたら、散歩がてら両国方面へ足を延ばしてみませんか?両国には赤穂浪士討ち入りが起きた吉良上野介の屋敷跡が本所坂町公園として存在しています。「ちょっと待った!北斎と赤穂浪士は何の関係もないのでは?」いえいえ、実は北斎の母は吉良家に仕えた小林平八郎の孫を自称していており、北斎自らも曽祖父は吉良上野介を守り、討ち死にしたと語っているのです。これが本当なら、北斎の芸術へのストイックさは「武士道」と何かしら関係があったのかもしれません。屋敷跡は公園という名前はつくものの、子供達が遊ぶような遊具はなく、吉良上野介の像や当時をしのばせる井戸や稲荷社が整備され、現在も北斎ファンや、歴史愛好家から愛されるスポットになっています。

投稿者:jinjin2357

旧吉良邸の86分の1のほんの少しだけが本所松坂町公園となっています。公園と言っても遊具はなく、史跡と言った方が良い感じがします。なまこ壁に囲まれた狭い空間に吉良上野介像やみしるし洗いの井戸、松坂稲荷などがぎゅっと詰めこまれているような感じです。投稿者:jinjin2357 さんの口コミ
両国にある旧吉良邸跡の一部分です。壁に囲まれた公園というか小さな広場で、小さな扉を開けて入るのが面白いです。12月の討ち入り日には盛り上がるようです。投稿者:1000kd さんの口コミ

回向院(東京都 墨田区)

まだまだゆかりの地は続きます。本所松坂町公園から隅田川方面へ数分歩いた先の回向院もその一つです。

1657年3月2日から4日にかけて、江戸城の天守を含む江戸の大半を焼いた明暦の大火。死者は3万から10万人とされ、これを機に延焼対策として幅の広い道路の整備が進められ、それが現在の上野広小路などの地名として名残を留めています。その犠牲者を弔うために建立されたのがこの回向院です。境内には江戸時代の大泥棒「鼠小僧」の墓があり、墓前にある石「お前立ち」を削って持ち帰ると、金運アップに繋がるとか。

投稿者:T04-14OB

北斎はこの寺院の境内で120畳もの大きさの布袋様を描いたといわれており、貧乏性の北斎があえて福の神の布袋様を描いたのは、彼なりの裕福への皮肉だったのでしょうか?そんな答えの無い問いについて考えを巡らすのも、北斎を辿る旅の醍醐味かもしれません。

 

投稿者:captainponta10X

ありとあらゆる「生命」を供養している、庶民派「回向院」だと思われます。とても興味深かったでした。「有縁・無縁に関わらず、人・動物に関わらず、生あるすべてのものへの仏の慈悲を説くもの」が、この「回向院」の理念らしいです。japanese_doremi さんの口コミ
両国の歴史を知るには街の顔ともいうべき寺院から。ここには江戸時代に起こった江戸の大火の被害者慰霊碑や様々な石碑が並びます。力塚という大相撲にゆかりの石碑も象徴的です。そして有名なのが「鼠小僧次郎吉」のお墓です。参拝客の目的のほとんどはここでしょうね。動物や小鳥の慰霊碑も並ぶ境内は必見です。jinjin2357 さんの口コミ

法性寺(東京都 墨田区)

どれだけ才能に恵まれた人物でもうまくいかない時はあるもの。法性寺には天才北斎の苦悩を表すエピソードが残されています。19歳で浮世絵師、勝川春章に師事した北斎は、その後何らかの理由で破門にされ30代で生活に困窮してしまいます。その後、神頼みに法性寺の開運北辰妙見菩薩へお参りをしたところ、頭角を現し、一大浮世絵師として活躍したという逸話が残っています。1798年(北斎38歳)にはそれまで属していた琳派から独立し「北斎辰政」を名乗り始めたことからも、当時北斎がどれだけ妙見菩薩を熱心に信仰していたかが窺えます。天才とうたわれた北斎の人間らしいエピソードに親近感がわきますね。

投稿者:sssh101

名前が印象的。建物自体は低層、昔ながらの形を残しながらも、それなりに近代化されていると思わざるを得ない。Shiden さんの口コミ
亀戸からスカイツリーに歩いた場合の途中にあるお寺で、近松門左衛門や葛飾北斎の碑があるなど、見応えのある中規模寺院です。1000kdさんの口コミ
 

旧安田庭園(東京都 墨田区)

法性寺から南西に約3km。両国国技館の裏手にある旧安田庭園は元禄年間に作られた旧大名の庭園であり、ここでも北斎の生きた証を見ることができます。心字池の周りには緑豊かな木々と散策路があり、秋には紅葉の名所として人気のスポットです。

投稿者:Takaaki E

62歳の北斎が1822年壬午(みずのえうま)にちなみ、馬を連想させる画を描いた「馬尽」シリーズを製作したのがこの旧安田庭園。ここでは製作中に休憩を取った石とされる駒止石を見ることができます。しかし、現在目の前にある駒止石は、ごつごつとしており休憩を取るには難しそう。北斎は一体どのようにして休んだのでしょうか?

投稿者:Ponta999

隅田川沿い、両国国技館の隣にある日本庭園です。汐入り池泉廻遊式庭園でかつては潮の満ち引きによって隅田川の水位が上下するのにあわせて池の風景が変わるようになっていましたが、現在は人工的に水位を上下できるようになっているそうです。FLYG2さんの口コミ
 
両国国技館のすぐ近くにある和風庭園です。無料で入れました。東京にありながらとても静かで落ち着いた雰囲気です。中央に大きな池があって眺めもとても良かったです。スカイツリーも見えて見応えがありました。Shirako915さんの口コミ
 

牛嶋神社(東京都 墨田区)

気持ちの良い日本庭園の散策を終えたら次に向かうのは、旧安田庭園から北に約2km離れた牛嶋神社。860年に慈覚大師が須佐之男命を祀ったのが起源とされ、東京スカイツリーの氏神でもある由緒正しい古寺です。かつて隅田川に沿う旧本所一帯を「牛嶋」と呼んでいたことが神社の名の由来だとか。

投稿者:trane37

境内には神社の名前にちなみ、自分の悪い部分と同じ部分をなでると病が治るという「撫で牛」があり、幾多の人々になでられたため表面はつるつる。また拝殿前には、中央の鳥居の両脇に小さな鳥居を構えた「三輪鳥居」など全国的にも珍しいデザインの鳥居が目を引きます。

投稿者:mikecat1985

北斎は86歳の時に須佐之男命をモデルにした横2メートル76センチ、縦1メートル26センチの肉筆画「須佐之男命厄神退治之図」をこの神社に奉納しました。原画は関東大震災で焼失しましたが、奇跡的に残った白黒写真から、復元され、現在はすみだ北斎美術館に大切に保管されています。

2018年10月の台風で倒壊した社殿前の三輪鳥居が元の姿で再建され、2019年5月4日に竣工祭がありました。 三つの鳥居を左、右、左と8の字を書いて回るとご利益が三倍に。itonoriakiさんの口コミ
 
毎年9月15日前後に神社のメインとなるお祭が行われます。中でも5年に一度の大祭は、50基の神輿が氏子エリアで渡御するなど、必見のお祭りです。jun1016takaさんの口コミ
 

老いても足繁く通った小布施

北斎は、晩年になってから江戸を離れ、日本各地を旅したことでも知られています。その理由は天保の改革により、自由な絵を描くのが難しかった、多くの弟子入りを希望するラブコールに疲れた、などと言われています。なかでも80歳を過ぎて4度足を運んだ長野県の小布施は、江戸に次ぐ北斎ゆかりの地として有名です。私達も江戸を離れ、長野の小布施に残る彼の軌跡を追いかけてみましょう。

高井鴻山記念館(長野県 小布施)

江戸時代の豪商の跡取りとして小布施に生まれた高井鴻山の隠宅を改装した記念館。江戸時代きってのインテリとして知られる鴻山は、青年時に江戸や京都に赴き、書や絵画、儒学などを学び、文化人としての礎を築いていきました。

投稿者:Extraordinary809292

故郷小布施に戻った後も、知的好奇心の絶えなかった鴻山が目を付けたのが北斎であり「是非小布施に来てほしい」と鴻山が誘いをかけたのが2人の交流のきっかけといわれています。

1842年、北斎83歳の時小布施で初めて顔を合わした2人は意気投合し、北斎は鴻山を「旦那様」、鴻山は北斎を「先生」と呼び合い、鴻山は北斎の弟子かつパトロンとなりました。鴻山の北斎への情熱は留まることを知らず、今も館内に残る北斎のために建てられたアトリエ碧漪軒がそれを物語っています。

投稿者:白熊爺

小布施に残る北斎の絵を見たのなら、この記念館を見ないのは残念です。北斎の泊っていた離れや、他の幕末の思想家たちの集った部屋、当時の気分を満喫して下さい。長野の、田舎の小さな町にこんな人がいたのかとびっくりしました。NorthStar803423さんの口コミ
 
鴻山は大実業家でありながら、山水画・花鳥画や妖怪画を多数残した芸術家でもあったらしい。展示室でその一部を観ることができる。200余年たつ悠然楼に入ることもできる。2階で一弦琴の体験もできる。OnAir806404さんの口コミ
 

栗の小径(長野県 小布施)

高井鴻山記念館を後にして、北斎の作品を展示する美術館、北斎館方面へ南に進んでいくと、大きな栗の木々が頭上に枝を広げる「栗の小径」が現れます。小布施は栗の名産地としても知られており、栗の和菓子で有名な「小布施堂本店」は実は高井鴻山が市村家創業の老舗です。栗の木の間伐材を敷き詰めた道は木の温もりに溢れ、両脇の黄色の漆喰が美しい昔ながらの伝統家屋に囲まれ、コツコツと音を立て、どこまでも歩いていきたくなる旅情あふれるスポットです。

投稿者:naka0527

北斎館と高井鴻山記念館に行こうと思うと、この小道を通ることになります。素敵な雰囲気の小道です。小布施ではオープンガーデンに多くの個人宅も参加していて、手入れされているお庭を見せていただけます。この道に連なるお宅のお庭も見学できますし、この小道に限らず、町の方が町内をきれいに保つ努力をされているのが分かります。konijn72さんの口コミ
 
小布施の栗の小径は、町並み修景事業の一環として作られた遊歩道。民家に囲まれた50mほどの短い小道ですが、とても風情があります。栗の小径は、栗の間伐材を敷き詰められたことから名付けられたとのこと。栗の木は水に強く、かつては鉄道の枕木は栗と決まっていたほどだそうです。onsomumamaさんの口コミ
 

北斎館(長野県 小布施)

栗の小径を進んでいくと、晩年に北斎が合計4度小布施を訪れた際に描いた作品を中心に展示する美術館「北斎館」に到着。入口付近には北斎漫画のスタンプを自由に押すことができるスペースが設けられ、子供達に大盛況。

投稿者:Revital S

更に進んだ常設展示室では北斎が最晩年に描いたとされる「富士超龍」や美人画、花鳥画、風景画などの作品が青年期から晩年期まで飾られ、北斎の絵のタッチの変遷をうかがうことができます。

投稿者:JamesKMTan

なかでも2つの祭屋台の天井に描かれた作品は北斎晩年の最高傑作とされ、北斎館のハイライト的存在です。

北斎の門下生でもあり小布施の豪商でもある高井鴻山が私財を投じて造り上げた上町祭屋台の天井には、荒れ狂う波を「男波」「女波」として描いた「怒涛図」が描かれ、北斎の下絵に鴻山が色を付けたといわれています。一方の東町祭屋台も鴻山の指揮の元製作が進められ、北斎85歳の時に天井に描かれた、燃えるような赤色の背景がビビットな「龍」と深淵のような暗い背景に浮ぶ「鳳凰」の、2つの絵は陰と陽のコントラストが印象的です。残念ながら館内は撮影禁止のため、画像をお見せすることはできませんが、是非小布施に足を運び、老いても芸術に情熱を注ぎ続けた彼の生き様を鑑賞してみてはいかがでしょうか。

投稿者:しちー

北斎が晩年に何度も訪れた地、晩年の肉筆画を鑑賞できます。他の展覧会でもなかなか観る事の出来ない作品や、東京のすみだ北斎美術館に比べて、実物展示が多いことがなにより!NEZUMICHOUSEさんの口コミ
 
富士越しの龍図、浪図を観る為に訪れました。版画とはまったく違う迫力に圧倒されました。富士越しの龍図の前から動けなくなりました。(離れたくない)お盆休みでも東京の美術館のような行列もありませんでした。北斎ファンならずとも是非訪れるべき美術館です。Trek804073さんの口コミ
 

岩松院(長野県 小布施)

少し距離は離れますが、北斎が小布施に残した最後の軌跡を見に行きましょう。小布施市の東側、雁田山の麓にある山寺岩松院は、1472年に建立されました。

投稿者:sugapapa

境内には豊臣秀吉の重臣として活躍した戦国武将「福島正則の霊廟」をはじめ、小林一茶が「やせ蛙まけるな一茶これにあり」という句を詠んだ「蛙合戦の池」などがあり、後の日本の文化形成に多大な影響を与えた文化人ゆかりの地でもあります。

投稿者:Storyteller808099

北斎もその一人であり、本堂の天井に描かれた「八方睨みの鳳凰」は1848年に89歳の北斎が描いた大作です。作成から170年以上経過した現在も一度も塗り替えられたことはなく、人が歩く些細な振動が作品に与えるダメージを考慮し、真下に置かれた椅子に座り鑑賞する方法が取られるなど、死後260年経った今でも人々から尊敬を集める北斎の偉大さを強く感じることができます。

投稿者:bibYokohama

裏手にある福島正則の墓の目当てで行きました。葛飾北斎ゆかりの天井画もとても綺麗で、一見の価値があります。2020年よりの日本のパスポートが葛飾北斎の図柄になりますし、これを機に行かれるのもいいと思います。Travel816084380さんの口コミ
 

こちらの本堂にある葛飾北斎の作品「八方睨み鳳凰図」のために、小布施に来たと言っても過言ではありませんでした。現在も当時のままという彩色の見事さは圧巻のものでした。解説の方(無料です)が丁寧に対応してくださったのも、とても良かったです。おすすめです。umenoya10さんの口コミ
 

そして最期の時が近づく

最期の時まで精力的に芸術に情熱を燃やした北斎は、90歳で生まれ故郷の下町で亡くなりました。彼の最期を垣間見ることができるスポットを紹介します。

遍照院(東京都 台東区)

浅草寺から北東に徒歩約10分の距離にある遍照院は浅草寺の支院の一つ。静かな住宅街の中にひっそりと佇む寺院には観光客の姿はまばらで、薄紫色に塗られた本殿は厳かな雰囲気を醸し出しています。かつて境内の西側には狸長屋という長屋が存在し、そこで北斎は90年の人生を終えました。

投稿者:2ji3

今戸神社から浅草富士浅間神社に向かう際立ち寄りました。境内はそれほど広くありませんが、薄紫色の本堂の柱などが目に留まりました。寺院にしては珍しい色を使った本堂です。2ji3さんの口コミ

古い石碑や石像などもなく、墓守のためにあるようです。観光地ではないように思われます。BackPacker803612さんの口コミ
 

誓教寺(東京都 台東区)

1849年90歳でその生涯を閉じた北斎が眠る寺院。偉大な功績を残した大浮世絵師でありながら、意外にも墓石は小さく華美な装飾はありません。そんな墓石を見つめていると、金銭に無頓着で画に一生を捧げた彼の人柄が見えてくるような気がします。

投稿者:brixtontrev

毎年4月18日の北斎の命日には寺院所蔵の作品が一般公開されます。満月に不気味に照らされた骸骨が灯篭を手に虚ろにこちらを見つめる「絹本着色骸骨図」は北斎が90歳を迎えた正月に描いた作品。その作品からにじみ出る生々しい美しさは、自身の死期を悟ったからこそ描くことができたのかもしれません。また自らを画狂人北斎と名乗った(北斎42歳から47歳)時期に描かれた、達磨の全身を横から描いた「紙本墨画淡彩達磨図」も見所の一つです。

東京メトロ稲荷町駅から歩いて数分の所にある誓教寺。葛飾北斎の菩提寺として有名で、葛飾北斎のお墓があります。本堂は、コンクリート造りで新しい雰囲気でした。ntnnsさんの口コミ
 
「画狂老人卍」と記されたごく簡素な墓だ。金銭や物には執着しない人だったようだから北斎らしいと言えなくもないが、世界に知られた天才画家の墓がこれでいいのだろうかと、少し複雑な気持ちになった。rinken7さんの口コミ
 

北斎の人生を追いかける旅はいかがでしたか?北斎の人生に興味が湧いたなら、是非実際にゆかりの地を訪れ、様々な北斎の作品に触れてみてはいかがでしょうか。

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