大河ドラマ『麒麟がくる』で注目!明智光秀ゆかりの地7選

2020年1月19日(日)よりスタートする予定の大河ドラマ『麒麟がくる』。主人公の明智光秀といえば、日本史上でも重要なクーデター「本能寺の変」を引き起こした中心人物として有名。今回ご紹介する明智光秀ゆかりの地を通して、下克上を果たした彼の足跡を辿っていきましょう。

本記事で紹介されているスポットは、下記の「旅リスト」にまとめられており、地図や一覧で簡単に確認できます。

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明智長山城跡(岐阜県可児市)

名古屋鉄道明智駅から徒歩25分、標高175mの高台に築かれた明智長山城跡は、諸説ある明智光秀の生誕の地とされるスポットの1つです。1342(康永元)年に築城され、その186年後に明智光秀が誕生。その後30年間ほど光秀が過ごしたと言われています。長い歴史のある城でしたが、1556(弘治2)年に武将・斎藤義龍の攻撃を受けて落城してしまいます。現在は、自然散策のできるハイキングコースとしても人気です。

投稿者:yoiyoirio

投稿者:pitch777

明智城は、明智光秀が生まれた地と考えられている城の一つで、その中では有力地とされていますが、確固たる証拠は今のところありません。明智光秀の前半生と同様に生誕地もまた謎です。二の丸跡付近に車を停めて散策しました。遊歩道は整備されていましたが、西大手口方面は崩落していました。本丸跡には展望台があり、正面に金山城を望むことができました。chirowankoさんの口コミ
明智光秀が生まれたと伝わるお城。可児市東郊外の住宅団地の裏山にあります。距離はちょっと歩きますが、散策のための遊歩道はきちんと整備されており、本丸からは眺望もあって、お城好きな方なら歩いてみる価値があります。xanctumさんの口コミ
1342年築城の土岐明智氏、明智光秀ゆかりのお城です。本能寺の変で有名な光秀ですが、前半生の出生地や生い立ちなど未確定の部分が多く、岐阜県内に他の出生地候補があったします。山城跡は散策コースが整備されていて、麓から20分程度で山頂につきます。展望台からは明智庄という荘園であった一帯を眺めることができます。広大な荘園地帯を眺めていると、この地が土岐一族、明智一族の勢力の基盤となったことも納得できます。pitch777さんの口コミ

坂本城跡(滋賀県大津市)

琵琶湖沿岸に位置する坂本城跡は、比叡山の焼き討ち後に築城された明智光秀の居城です。かつては琵琶湖の水を引き入れ、大天守と小天守を有する豪華なお城で、名城と讃えられたほどの美しさを誇っていました。しかし、山崎の合戦敗北後、光秀の義理の息子・明智秀満によって火が放たれ、一部を残し焼失しました。琵琶湖の水位が下がった際には本丸石垣を見ることができます。

投稿者:アイタカ

投稿者:アイタカ

投稿者:みやっち

今は城跡というより、公園が残る程度。
ここに平城があり、ドラマであるように光秀公が天守閣から琵琶湖を眺めながら考えを巡らせたのかと感じることができる。2020年の大河ドラマの頃にブラタモリで出てきそうな場所。ahodanceさんの口コミ
坂本比叡口から琵琶湖に出て南下、この場所の立地が、なぜ光秀がここを選んだのか知りたくそれだけで立ち寄りました。東の琵琶湖、西の叡山と京、湖畔で過ごす光秀の栄枯盛衰はすこしセンチメンタルな気持ちに変わったでしょう。4068kasshysayakenさんの口コミ
不思議と言えば不思議なことなのですが、実はこの坂本城跡、昭和54(1979)年まで一度も発掘されていませんでした。たまたま城跡中心部で大規模な宅地開発かされることに伴った発掘によって明らかにされたものが大半であることは知らない方も多いと聞いています。主君に刃を向けた明智光秀は、〝逆賊〟として有名になってしまっているところはあるものの、やはり地元では名君の誉れ高く伝わっています。琵琶湖を望める湖城の跡、景色は変わりましたが今なお絶景が広がる場所として訪れて頂きたく思います。hirobeeさんの口コミ

福知山城(京都府福知山市)

明智光秀が丹波地方の拠点とするために築城。もっとも、光秀自身は3年しか在城しなかったようです。福知山城最大の特徴といえば、転用石を用いた石垣です。一見乱雑に見えますが実際は綿密な計算の元に組み立てられており、非常に強固な造りとなっていて一見の価値があります。天守閣は明治時代に取り壊されてしまいますが、昭和後期になって復元されています。

投稿者:鶴田 直己

投稿者:asaka19691216

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投稿者:LTB511

来年の大河ドラマの主人公、明智光秀が築いた城です。市内にあり典型的な平山城です。福知山では善政を敷いたみたいで、由良川氾濫を抑えるため光秀が治水したとも聞きました。再建の城なので、無料駐車場からコンクリート製の太鼓橋みたいな橋があります。ここ丹波一国と近江坂本を召し上げられ、いきなり出雲石見とは、光秀が切れた気持ちがわかります。Travel816084380さんの口コミ
山門が残っているお寺や明智光秀を祀っている御霊神社も巡るなら自転車を駅の観光協会で借りることをオススメします。本丸の石垣と再建天守閣があり、中は福知山の歴史館となっています。善政をしていたからか、大河があるせいか町としては光秀おしでしたが、何分何も残っていないので展示の大半は13代に渡って福知山を治めた朽木氏の展示でした。LoveTravel810403さんの口コミ
続日本100名城に選定されたため、再訪しました。明智光秀築城の城で、江戸時代は何代か城主が代わったのち、朽木氏が明治維新まで13代200年にわたって城主となった城。城内はそういった福知山城の歴史や福知山の歴史が資料展示されています。最上階の展望スペースは外には出られません。景色は山や川が見渡せ、とてもいいです。石垣に墓石などが用いられていて、見所のひとつです。Venture806823さんの口コミ
歴史の通説が見直されつつある今日。本能寺の変の真相は、未だ謎につつまれたままです。汚名を着せられた悲運の首謀者、明智光秀も、ここ福知山では善政を行った神様的存在なのです。丹波平定後、由良川の流域に面した平坦な土地を開墾して町並みを整備するとともに、雄壮な城、福知山城を造ったのです。現在の城は約30年前に復元したものですが、当時の様式をそのままに再現した全国的にも珍しい長方形天守でした。Tadaki Mさんの口コミ

本能寺跡(京都府京都市)

日本史上最大の下克上、本能寺の変の舞台となった場所です。1582(天正10)年6月2日、中国地方平定のために滞在していた織田信長の寝込みを見計らい、明智光秀が襲撃。助からないことを悟った織田信長は火を放って自害します。現在の本能寺は寺町御池に移転していますが、当時の本能寺は全焼しており、石碑を残すだけとなっています。この後わずか13日間ではあるものの、光秀はいよいよ天下人となるのです。

投稿者:みやっち

投稿者:hir0shij

投稿者:shinin’baby

織田信長の終焉の地。ついにきました。石碑がポツンとあるだけ…とても切ないが、一度は来ようと思っていたから、自己満足しました!京都を歩くと、距離感がすごく近いので、どうして本能寺の変が起きたのかが不思議に思えましたyajibutaさんの口コミ
この「本能寺跡」の場所は、四条通油小路通を北方向に上る右手にあります。「本能寺跡」の周辺は本能寺ディサービスや堀川高校などがありました。この周辺で戦国時代、天下統一を目指していた「織田信長」が家臣の明智光秀に襲撃され本能寺で命を落としたことが歴史上の大きな誤算だったと感じます。「織田信長」が健在であったならば、戦国時代の天下はどうなっていたのか考えてしまいます。hir0shijさんの口コミ
日本統一を目指していた信長公がここで最後を迎えました。石碑が有るだけで辺りは狭い住宅街、決して当時を想像するものは有りませんが「無念でしょう」と声を掛けたくなります。Meander767454さんの口コミ

谷性寺(京都府亀岡市)

明智光秀と縁深いお寺として知られており、光秀寺とも呼ばれています。谷性寺は明智光秀が信仰していた不動明王像を本尊としており、境内に山科小栗栖で暗殺された光秀の首塚も祀られています。ただし、光秀の首塚はいくつか存在しているので、本物であるかはわかっていません。初夏には明智家の家紋である桔梗が咲き誇る花の名所としても有名です。

投稿者:ramupapa

投稿者:イブ513

投稿者:お遍路さん京都市

投稿者:happyshin

光秀が信仰した不動明王像があるそうで、別名、光秀寺と呼ばれています。
キキョウの家紋が門にあり、歴史風情感じるお寺です。お寺のはずれに、京都縦貫道の篠インターに飾られていた勇猛な光秀像があります。静かなお寺ですので、静かに手を合わせて、ゆったり楽しむのがオススメです。kobatty54さんの口コミ
明智家の家紋『桔梗』に因み光秀公の首塚を祀る谷性寺(こくしょうじ)と桔梗の里を訪ねました。地元の方々が丹精込めた桔梗が山寺を彩っていました。桔梗の里入口から、紫や白の桔梗を愛でながらお寺を廻り御住職に御朱印を頂いて参りましたが、ここにも桔梗が咲いていました。Relax809693さんの口コミ
明智光秀が本能寺に向かう際に祈願した寺で、日頃から光秀と関係の深い寺で、光秀寺とも言われています。光秀の首塚がありますが、本当に埋まっているのかはわからないと言われています。意外に小規模な寺です。家紋となっている桔梗が栽培されている桔梗の里が隣接しており、藍色のほか、淡い白色の桔梗が見られます。桔梗の里は有料でした。ramupapaさんの口コミ

明智光秀の首塚(京都府京都市)

三条白川沿いの住宅街の一角にひっそりと佇む明智光秀の首塚は、光秀の家来がこの近辺に埋めたものとされています。本来は別の場所にあったとされており、明治維新以降に現在の場所へと移されました。現在はその傍にある和菓子屋さんが管理しています。いくつか候補がある光秀の首塚の中でも、最も本物の可能性が高いと言われています。

投稿者:brixtontrev

投稿者:Meander767454

投稿者:Meander767454

明智光秀は1582年本能寺で織田信長を襲撃しました、いわゆる「本能寺の変」です。その後山崎合戦で秀吉軍に破れ近江の坂本城に逃れる途中で小栗栖付近で襲われました。元々首塚はこの場所にはなかったようですが明治維新後にこの地に移されたようです。
路地入口のお菓子屋さんで光秀饅頭が売ってました。どうぞお土産に!Cruiser810146さんの口コミ
誰でも知っている光秀さんのスポットです。知恩院まであと1kmというところで夜が明け、泣く泣く部下が首を埋めたのがここだとか。白河の住宅の隙間にさりげなくあることに、京都の持つ歴史パワーを感じます。夜は光も妖しげでした。junnneさんの口コミ
三条通白川下るにあります。白川沿いから20mほど中に入るのですが、入り口に案内板があります。明智光秀は天正10年6月2日織田信長を襲撃した本能寺の変で有名です。その後6月13日に山崎合戦で秀吉軍に敗れ、近江の坂本城に逃れるところを襲われたそうです。明治維新後にこの地に移されたそうです。静かな住宅街にひっそりと塚がありました。祠や五輪塔などがありました。大切に保存されているのが伝わりました。Exploration804358さんの口コミ

御霊神社(京都府福知山市)

もともとは五穀豊穣の神である宇賀御霊大神を祀っていた歴史在る神社でしたが、明智光秀の死後に福知山では天災が相次いだため、その御魂を慰めるべく1705(宝永2)年に御霊神社で祭神として祀ることになりました。福知山で善政を施していた明智光秀を慕う人々は今でも多く、地元の人々が日々参拝に訪れています。境内には願いが叶うと評判の叶石も祀られており、パワースポットとしても注目されています。

投稿者:待兼山

投稿者:KITAGUNI9501M

投稿者:しろくまも

明智光秀は本能寺の変で主人である織田信長を討ったために逆臣の汚名を長年被り続けてますが、近年見直されている武将でもあります。
私も好きな武将なんですが、特にここ福知山は光秀公を非常に敬っている土地だなって印象です。支配時期は僅かで、明智氏以外にも多くの大名がこの地を治めているにも関わらず、明智光秀が一番愛されているようで、それだけ善政をこの地で施してしたんだなってことですね。asaka19691216さんの口コミ
福知山城とあわせて訪問しました。駅の観光案内所の方も、福知山城と御霊神社の2つは是非行ってくださいと、すすめられました。福知山では明智光秀は善政をしたとして、慕われています。なお、社務所は訪問時は無人で、必要があれば電話で呼びだすようになっていました。Venture806823さんの口コミ
もともとは五穀豊穣の神様を祀った神社だそう。ただ、明智氏ゆかりの土地であることから、明智光秀が併祀されています。そのため、あちこちに桔梗の御紋があったりして、歴史好きにはへぇ~という感じかと思います。
お社自体は大きなお社ではないですが、地元密着の雰囲気があり好きでした。ReNemikoさんの口コミ

逆臣としての汚名を着せられながらも、一方で福知山では善政を施し領民に慕われていた明智光秀。今回ご紹介した場所を通して、彼がどのような想いで織田信長に仕え、本能寺の変を起こすに至ったのか想像してみるのも大河ドラマならではの醍醐味です。この機会に、明智光秀の足跡を辿る歴史散策に出かけてみてください。

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