人類史の悲劇を巡る、ダークツーリズムへの誘(いざな)い

戦争、虐殺、差別、被災……。人類が犯した過ちを今に伝え、そうした悲劇を二度と起こさないため、後世への戒めとして残された“負の遺産”。歴史の惨劇を目の当たりにしたとき、人は何を思うのでしょうか。

アウシュヴィッツ(ポーランド)

ナチス・ドイツの強制収容所のうち最大級の施設。第二次世界大戦中に推進された人種差別的な絶滅政策 (ホロコースト) により、多くのユダヤ人たちが強制連行されました。ユダヤ人たちを貨車で連行したときの鉄道レールが今も残っています。

FrancescTortさんの投稿写真

Steve Rさんの投稿写真

収容所に到着すると、ユダヤ人たちは労働者、人体実験の被験者などに選別。利用価値がない者は「シャワー室」へと送られました。部屋に入ると、天井からは有毒ガスが……。ここは瞬時に大量虐殺するための「ガス室」だったのです。

Steve Rさんの投稿写真

どのグループに選別されても、待っているのは結局「死」。即日か、数週間か、数か月か……生きのびた日数が異なるだけ。犠牲者の靴がうずたかく積まれています。

Kelly Wさんの投稿写真

収容所が建設された1940年~ドイツ敗戦によりナチスが崩壊する1945年まで、毎日数千人が亡くなりました。犠牲者総数は50万人とも言われますが、正確な人数は今となっては知るすべもありません。

Kelly Wさんの投稿写真

テレビや写真、映画などを通じて想像していたものとはかけ離れた場所でした。
実際に自分の目で見て、肌で感じてみるべきです。ゆぎさんの口コミ
映画やドキュメンタリーなどで何回も見たことはある場所ですが、実際行くと事実の重みを感じました。アウシュビッツには収容された方々の遺品が痛ましく、ビルケナウには広大な敷地に残る線路やガス室跡が生々しかったです。RT1014さんの口コミ

人類史上最大の人道的犯罪とも言えるホロコーストを体験するのに貴重な機会です。何故に人はこのように大きな罪に走ってしまうのか、ここを訪れなければ分からないところがあるように思えます。釋安住さんの口コミ

ヤド・ヴァシェム(イスラエル)

ユダヤ人が人口の約75%を占めるイスラエルには、ホロコーストの犠牲者たちを慰霊する国立記念館があります。ヤド・ヴァシェムとは、旧約聖書のイザヤの56章5の詩にある「名前と記憶」という意味。

Katarzyna Bさんの投稿写真

ホロコーストの犠牲者、約600万人の写真が天井のドームいっぱいに展示されています。

Facebook会員さんの投稿写真

子ども記念館の内部では、暗闇の中に犠牲になった子どもたちの名前を読み上げる声が響いています。

kifran_10さんの投稿写真

ナチスの迫害からユダヤ人を守った人は、ヤド・ヴァシェムより「諸国民の中の正義の人」と賞されています。日本人では杉原千畝が有名で、記念樹もあります。

ボー太郎さんの投稿写真

ユダヤ人の迫害の歴史に焦点を当てた博物館です。日本ではなかなか学ぶことの難しい視点だと思うので、行く価値はあります。
一応日本語の話せるガイドもいますが、たどたどしい日本語のこともあるので、可能であれば英語のガイドを付けると非常に有意義だと思います。yu0410さんの口コミ
傷を誇りにしていこう、というユダヤの方々の心意気が感じられる施設です。本当に心が痛む映像なども多々ありますが、でも、昔があって、今がある。それを知って意識し続けることも必要なのかも・・・と見学し思いました。最後は希望を表すモニュメント的なコーナーもあり、ただ恐ろしいだけの場所ではありません。ayaneeさんの口コミ

ホロコーストの歴史を知ることができます。日本語ガイドもおり詳しく説明を受けられます。日本のシンドラーこと杉原千畝氏もその功績が紹介されており、庭園には記念植樹と共にネームプレートが建立されています。記念植樹は息子さんが行ったそうです。ボー太郎さんの口コミ

ロベン島(南アフリカ共和国)

南アフリカ共和国・西ケープ州ケープタウンの沖合にある小島、ロベン島。島の周囲は潮の流れが速いため、古くから流刑地や難病患者隔離施設として使われてきました。

Jaap Rさんの投稿写真

1948年〜1994年までの約46年間、白人政権が黒人を抑圧したアパルトヘイト(有色人種隔離政策)により、黒人は低賃金・重労働を強いられ、義務教育も受けられませんでした。レストラン、列車やバス、トイレまで白人とは別にされていました。この島は、それに反対する政治囚らを収監する「監獄島」でした。

Jean Gさんの投稿写真

有刺鉄線が張られたゲートから建物に入ると、政治囚は取り調べられ、体に電流を流されるなど、過酷な尋問を受けました。ツアーでは、実際に収監された経験を持つガイドが案内してくれます。

Mars838さんの投稿写真

長方形のホールに簡素なパイプ組みのベッドが置かれた雑居房。壁には、救いを求めて描いたキリストの絵が残っています。

Karen Tさんの投稿写真

黒人解放運動を率い、1994年に選挙によって大統領になったネルソン・マンデラは、27年の獄中生活のうち、18年をこの島で過ごしました。マンデラ氏が生活した約2畳ほどの独居房も、見ることができます。

Cat Sさんの投稿写真

実際にここに収容されていた人達が、今は職員となり、ツアーで説明をしてくれます。その過酷さに驚くと共に、後世に伝えていく姿勢に感動します。南アフリカまで来たのなら、ケープタウンにいるのなら、一度は訪れたい場所だと感じました。Akiko Mさんの口コミ
ロベン島に到着後元囚人のガイドによりマンデラ氏のセル等を見て回りのち質疑応答。バスに乗り別のガイドとともに島内を見て回ります。すべて英語で行われます。英語に自信のない方は事前にウィキペディア等で予習をされていくと良いでしょう。このツアーでは、マンデラ氏の強い意志とその寛大な人柄にたいへん感銘を受けました。sakura159さんの口コミ

アパルトヘイトが無くなったとは言え、今も白人以外の方の職業上の差別や貧富の差があるようです。
ワールドカップや鉱物資源に恵まれて湧いている南アフリカ共和国ですが、人種差別について非常に考えさせられました。kakenagashiさんの口コミ

ロベン島

バブル評価 5 段階中 4.0
39位:ケープ タウン セントラルの観光スポット184件中

キリング・フィールド&トゥール・スレン虐殺博物館(カンボジア)

首都・プノンペンから車で約30分のチュンエク村にある「キリング・フィールド」。1975年、政権の座に就いたポル・ポトが率いるクメール・ルージュは、知識人、宗教関係者など、反体制勢力とみなした者を連行。農村で強制労働させるか、壮絶な拷問の末に次々と殺害。1万4000人が収容され、生き残ったのはわずか8人ともいわれています……。慰霊塔の中には、犠牲者の頭蓋骨がうず高く積み上げられています。

itsayさんの投稿写真

ほとんどの人が、理由もなく撲殺されたと言われています。今でも、人骨や衣服が無造作に散らばっています。

Simon Wさんの投稿写真

幼い子どもの両足を持ち、頭を打ちつけて命を奪った「キリング・ツリー」。かつては、血痕や脳の一部が付着していた大木の幹は、今は鎮魂の祈りを込めたミサンガで覆われています。

Janet2008さんの投稿写真

キリング・フィールドから約10kmのところにあるトゥール・スレン虐殺博物館には、実際に使われた逆さ吊りの拷問具や殺害道具、証言者の話を元に再現した絵などが展示されています。

SXE85さんの投稿写真

rlaynehさんの投稿写真

cherryPhitsanulokさんの投稿写真

戦争の無い平和な世のありがたさを再認識するという意味で、行って良かったと思います。このようなことが、1970年代(私はすでに生まれていました)という直近にあったことに驚かされます。
日本語のオーディオガイドがあり、しっかりと説明をしてくれますので、当時に何があり、どんなことが行われたが、十分理解できます。
合わせてトゥールスレン博物館にも行かれることをお勧めします。fhjfhjさんの口コミ
恐るべきはこの惨劇が1979~82年に起きたと言う事。たったの三十数年前にそこで屠殺のように大量の殺人が行われていたという事実に戦慄せざるを得ない。BodhiSattovaさんの口コミ

人間がいかに残酷な生き物かを改めて思い知ることになりました。
人間とは何か、国とは何か、幸せとは何か、とても考えさせられる場所です。yukiquitaさんの口コミ

グラウンド・ゼロ(アメリカ/ニューヨーク)

2001年9月11日、航空機が乗客を乗せたまま、世界貿易センタービルなどに突入したアメリカ同時多発テロ。世界貿易センタービルの北棟・南棟は爆発・炎上し崩壊。2983名の犠牲者を出しました。

RayC888さんの投稿写真

世界貿易センタービルの跡地は現在、メモリアルパークになっています。ノースプール、サウスプールの2つの滝のモニュメントが建設され、滝の縁には犠牲者の名前が1人ずつ彫られています。

Lynn Cさんの投稿写真

Loloionさんの投稿写真

跡地には「9・11メモリアル・ミュージアム」もあります。ビルの残骸、落ちてきた瓦礫により潰れた消防車などを展示。人々のメッセージが書かれた、廃墟に残った「最後の柱」には、人々のメッセージが綴られています。

Peder Lさんの投稿写真

Rswoxさんの投稿写真

DARIOCALCHAQUIさんの投稿写真

あの悲劇の場所とは思えない、整備された 近代的な『まるでオブジェ。』

隣同士に並んだ 2つの空洞になっている そのメモリアルの四角形には、お亡くなりになった方の名前が刻まれています。
日本人の名前を多数見かけたとき、ご家族の方の(間接的に犠牲になられた知人がいましたので)想いを 重ねると 胸がきゅっと苦しくなりました。kanachimutanさんの口コミ

ツインタワーが建っていた場所にあるプールに 滝のように流れる水と、その周りの石板に刻まれている名前をみんな静かに見ていました。その名前に白や赤のバラが所々で手向けられているのを見ると、テロや犯罪のない平和な世界が訪れる事を願わずにはいられません。実 広さんの口コミ

すっかりきれいになりました
全く理由はわからないのですが、ここに来ると立ち止まっていられないくらい涙がこみ上げてきます すごく大きな悲しみを感じるんです
とてもきれいで悲しいところですmieTokyoさんの口コミ

チェルノブイリ(ウクライナ)

1986年4月26日、チェルノブイリ原子力発電所の原子炉で、炉心溶融(メルトダウン)して爆発。放射性物質がウクライナ、ベラルーシ、ロシアなどを汚染した、史上最悪の原子力事故とされています。運転員、消防士、事故処理にあたった軍人、トンネルの掘削を行った炭鉱労働者など多数が死亡。その後の放射線被曝による死者は、百人とも数十万人ともいわれています。

conorf1985さんの投稿写真

DaveSwinさんの投稿写真

現地ツアーもありますが、放射線被曝のリスクもあります。首都キエフにある「国立チェルノブイリ博物館」では、入るとすぐ、放射能汚染で立入り禁止になって「消滅した村や町」の標識が頭上に。ガスマスクと防護服を着用した人形、事故で亡くなった人たちの写真や遺留品なども展示されています。

Moi_Lyonさんの投稿写真

ぴりたさんの投稿写真

NandyPengarahさんの投稿写真

入口からいきなり、天井から廃村になった村の村名看板(赤線で村名が消されている)がずらりと垂れ下がっていて、気分を盛り下げてくれる。説明書きがキリル文字だけであることがある意味幸い。救助活動で犠牲になった兵士の遺品全集(多分)とか、住民退去後の村の写真集とか気分が滅入る展示ばかり。でもキエフに来たら行ったほうがいいdrukairさんの口コミ
オーディオガイドというと大抵はどうでもいいことを話している印象がありますが、ここのものは大変良い内容で、事故の恐怖と、無念さと、英雄的行為に対する驚嘆と、どこまで英雄行為だったのかという疑問(どれだけ危険を知らされていたのだろうか…)を感じながら聞き入ってしまいました。kentaonさんの口コミ

原発事故が起きてしまった町と、その後の対処、
戦いの資料が壁やケース、映像で見ることができます。
子どもたちの顔写真が並ぶ場所では特に複雑な気持ちになりました。
日本人なら訪れるべき場所な気がしてきます。yoominさんの口コミ

胸を締め付けられるような場所ばかりですが、これらは全て、人類の歴史上起こった真実。目を背けることなく、なぜそれが起こったのか、これから何をするべきかを考え、人命の尊さ、平和の大切さを後世に語り継ぐ――それがダークツーリズムの意義なのでしょう。

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